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文を知る2
【美和子として、素彦の支えに】

夫との死別

英国公使館焼き討ちや外国艦船砲撃など長州の攘夷運動を画策してきた玄瑞は、元治元(1864)年禁門の変(蛤御門の変)で負傷、その後自害しました。文が22歳のときでした。
夫を亡くした文は、主家毛利家の侍女として召抱えられます。毛利家では、「美和」という御殿名を使用したといわれています。のちに楫取素彦に嫁いだとき、文は本名を「美和子」と改めています。

姉の死と再婚

時代は明治となり、姉寿(ひさ)の夫、楫取素彦は群馬県令となっていました。しかし寿はこのころ重い病気を患っており、文は前橋の家を訪ね、姉の看病と家事を献身的に行っていました。明治14(1881)年、寿は43歳の若さでこの世を去ると、母・滝は文に素彦のもとへ嫁ぐよう勧めます。母の熱心な説得を受けて2年後、文は名を美和子と改め、楫取素彦のもとに嫁ぎます。

防府での晩年

楫取素彦と美和子夫婦は、明治26(1893)年に山口県防府市(三田尻)に居を移し平穏な余生を過ごしました。大正元(1912)年、素彦84歳が天寿を全うし、そしてその9年後の大正10(1921)年、美和子も79歳で永眠しました。二人は今、防府市桑山山麓の大楽寺の墓地で寄り添って眠っています。